養秀同窓会
灰燼に帰す
灰燼に帰す:校舎北側から那覇を望む。観音堂の坂も見える。
校舎北側から那覇を望む。観音堂の坂も見える。
1945年4月20日は、沖縄一中の運命を暗示するような日であった。

浦添・西原方面での戦闘の激化にともない、首里でも日増しに砲爆撃が激しくなっていた。
鉄血勤皇隊と通信隊の中からは、前線戦闘部隊との連絡や、金城町の場への食糧運搬などで犠牲者が出始めていた。
この日午後5時頃、那覇港沖の米軍艦隊からの砲撃の一発が沖縄一中の校舎に命中した。
大地をゆるがす轟音で勤皇隊の壕もゆさぶられた。
校舎の2階の窓からは猛烈な火えんが吹き出し、夕暮れの空を焦した。
生徒たちは身の危険も忘れ、呆然として校舎の延焼を見つづけた。
60年の伝統を誇った“わが学びの舎”が、あえぎながら助けを求めるようにして崩れ落ちた。
その間も米軍のトンボ(軽観測機)は悠々と飛び交って、砲撃地を確認して艦船に通報。
艦砲は確実に目標をとらえて、つぎつぎ破壊していた。

首里城内にこもる第32軍司令部は執物にねらわれ、首里城正殿をはじめ南殿、北殿、尚侯爵邸(中城御殿)、圓覚寺、弁財天堂、そのほか国宝級の文化遺産もことことく飛び散った。

5月14日、これまで一つの組織として幾多の戦闘でよくその任務を遂行し、そのために数々の犠牲者を出してきた一中鉄血勤皇隊に軍から特別命令が下り、引率の教師とともに各第一線部隊へ配属の再編成が行われた。
配属先は鉄血勤皇隊本部、第五砲兵司令部、測地隊、野戦築城隊、野戦重砲第一連隊、独立重砲兵第100大隊、独立工兵第66大隊などであった。

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