養秀同窓会
近代教育の始まり
近代教育の始まり:賞状証書には、卒業証書、学年ごとの修了証書、随意科だった英語科の卒業証書、特待生、寒稽古皆勤、水泳試験、成績優等、級長辞令、二学期と三学期末に前の学年より席次が顕著に上がった生徒に与えられた進歩賞、体力検定合格、教練検定合格等の証書、証明書が授与されている。
賞状証書には、卒業証書、学年ごとの修了証書、随意科だった英語科の卒業証書、特待生、寒稽古皆勤、水泳試験、成績優等、級長辞令、二学期と三学期末に前の学年より席次が顕著に上がった生徒に与えられた進歩賞、体力検定合格、教練検定合格等の証書、証明書が授与されている。
沖縄の近代教育は「国学」が「首里中学校」と改められた明治13年(1880年)教則課程が許可されて始まる。
師範学校(当初那覇のち首里)や県下14の小学校(島尻10、伊江島1、首里3)の創設もこの年である。
同年県学務課では「沖縄対話」を発行、普通語(共通語)の普及に務めた。
内容は名詞篇と対話篇に分け、日琉両語で表記した。
たとえば「晴天シーチン、曇空クムイテンチ」というぐあいに、名詞篇では四季、学校、農業、あそび、旅行、その他日常最もよく使われる単語を多数収録した。
また会話篇では「今日ハ誠二長閑ナ天気デゴザイマス」を「チュウヤ、マクトニ、イーテンチ、デーピル」というような、日琉会話読本であった。
小学校でも使用し、師範学校でも教師用に使ったというから、マゲをゆい煙草入れを帯に差した琉装の大人が、ヒゲをひねりひねり懸命に「フンジチ(本日)は、マクト(誠)に、ヌドカ(長閑)な、テンチ(天気)でございます」と発音練習を想像すると、誠にのどかな気分になる。
中学校の場合は当初から中学教則大綱により「高等普通学科を授ける所」と決まっていたから、程度は師範学校より高く、科目は修身、算術、地理、歴史、博物、物理、会話(読書)、習字、体操であった。ただし習字と図画は教員不足で、体操は沖縄の民情にまだなじめぬとの理由で授業はされなかった。
首里中学が明治13年に設立されて同21年に初めて3人の卒業生を出したということは、教科内容の難易度にも原因があったといわれている。

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