養秀同窓会
復興の槌音
復興の槌音:「1945年12月14目、首里建設先発隊」仲吉良光氏らの一行。
「1945年12月14目、首里建設先発隊」仲吉良光氏らの一行。
終戦の1945年から1950年へかけての沖縄は皆無から再出発する混乱期であった。
戦争で徹底的に破壊された教育現場も焦土から根強く立ち上がろうとした苦闘の日々の連続であった。

戦後、住民の集結地となった所に、いち早く教育の復活があった。
高等学校は1945年の7月に石川、10月にコザ、11月に前原・知念の各高校が開校した。

首里高校は当初、糸満高等学校首里分校として設立を申請、1946年1月26目に認可され、翌27日午前9時から赤田町三星倶楽部跡で開校式が行われた。

職員は設立委員だった真現名兼弘、座波嘉永、喜屋武盛雄、具志頭朝清の4名で、真境名が主事として訓辞、座波・喜屋武両教官が諸注意をした。

開校当時の生徒は戦争生き残りの中学生・女学生で、1年生から4年生まで合わせて男子28名、女子11名の計39名。
その内訳は1年生18名(男13、女5)、2年生10名(男7、女3)、3年生7名(男5、女2)、4年生4名(男3、女1)であった。

三星倶楽部跡から2月17日に元首里第二国民学校跡(現城西小学校)へ移転した。
教室は首里市の工務課からもらった天幕3張で職員室、1・2年生教室、3・4年生教室とした。

教室とは名ばかりで味もなく、ベニヤ板の黒板、寸法まちまちな木で作った机と長椅子で男女共学となったが、「生徒ノ風尚二遺恨ナル点微塵モ認メス」と学校日誌に記録されている。

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