養秀同窓会
首里ハイスクール
首里ハイスクール:先生の板書を写したノートが教科書にもなった。<br>鉛筆も入手困難だった。(1947年)
先生の板書を写したノートが教科書にもなった。
鉛筆も入手困難だった。(1947年)
1946年1月の文教部の設立で、3月には一斉に教職員の発令があった。
同年5月にやっと賃金制が施行されたが、アメリカ世の教師たちは薄給であり、軍作業や民間業への離職者があいついだ。

当時の教員給与は第3号俸から第14号俸まであり、時給制となっていたが、月額にすると、校長が340円~600円、一般教員は160円から500円と、その学歴、経験年数によって額が決められていた。

一番下の第3号俸は幼稚園、小学校の先生で、最高の第14号俸は沖縄民政府の各部長であった。

その頃は50円が1弗に相当し、タバコ1カートンは民間で150円から300円で取り引きされていた。

琉球資料第3集によると、1947年6月から12月までに50名の高校教職員が退職して軍関係に転出した。
勤務先は憲兵隊、ライカムPX、普天間AJ、天願のQMなどで、田井等、石川、コザ、前原各高校の教員が240円~360円の待遇に見切りをつけ、軍雇用員として400円~600円と学校長クラスの待遇を受けた。
このほか、英会話のできる人には業務カードにES(イングリッシュ・スピーキング)と付記され、給与に一割増がついていた。
首里高校教職員の生活もきびしく、「イモの配給あり」「薪の配給」「懇親会」と取組んだ。

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