養秀同窓会
戦後校舎の変遷
戦後校舎の変遷:1950年から木造瓦葺教室が造られていく。<br>山川交差点から現在の運動場北西の角、西側の道路を見る。
1950年から木造瓦葺教室が造られていく。
山川交差点から現在の運動場北西の角、西側の道路を見る。
1946年、首里高校が三星クラブ跡にできた時、米軍用テント3張が校舎である。
同年秋、旧一中跡地へ移転、校舎は徹底的に破壊されつくし、運動場にはすり鉢状に口をあけた艦砲穴が38もあった。
それを瓦礫で埋めて、運動場の周囲に20張りのテント教室を建てている。
軍払下げのコンセット2棟・(各30坪)が配給され、職員室と教室に当てられている。
コンセットは外見はいいが、通風採光が悪く、陽が照ると蒸風呂のようになり、雨が降るとトタンにはじける音がすさまじく授業も中断するほど。
他のテント教室も風雨にはお手あけて、当時の学校日誌にはしばしば「雨天ノ為休業ス」の記事が出てくる。

その頃、安謝の製材所の資材整理で働けば、帰りに2x4(トウバイフォー)の材木がもらえた。
その木材めあてに全校生徒が動員され、男子一人一本の材木をかつぐ「安謝から学校まで続く生徒は胸を打つものがあった」と当時の職員はふりかえる。

茅ぶき校舎の出現は1947年、それらのバラック建て教室は次きつき襲ってくる台風にひとたまりもなかった。

1949年秋からガリオア資金による木造瓦葺校舎が建ち始める。
本校にも1950年10教室が完成する。
戦後初めて床張り、窓ガラスのある教室で授業が行なわれるようになった。

1954年、戦後9年目にして戦災校舎の復旧工事が始まり、次きつき増築工事があり、北館3階、西館4階、南側が2階建、口の字型校舎が形を整える。
中庭がロマンの森。
運動場東北隅に体育館、北側に5号館ができていく。

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