養秀同窓会
尋常中学ストライキ事件
尋常中学ストライキ事件:明治32年頃の田島利三郎と伊波普猷。
明治32年頃の田島利三郎と伊波普猷。
首里中学が「中学校令」により「沖縄尋常中学校」と校名が改称されたのは明治19年(1886年)、さらに翌年は「沖縄県尋常中学校」と県の字が入り、修業年限も5年となった。
その頃までには入学希望者も、教室が足りなくなるほど、ふえている。当初「民情に適しない」として教授されなかった体操も、明治18年、首里中学校時代に課され、また教則に英語が加えられたのもその年である。

それから9年後の明治27年、英語は随意科目に変更された。これに抗議して起きたのが、いわゆる「沖縄中学ストライキ事件」である。

師範学校の校長と沖縄中学の校長を兼任していた児玉善八は、沖縄の中学では英語より国語教育が重要だと考え随意科目にしたが、それでは上級学校に行けぬと生徒や世論の反発をかった。
同時に児玉校長は生徒や一般の信望厚い下国良之介教頭を休職に、「おもろ」研究に伊波普猷を開眼した田島利三郎教諭を免職に、それぞれ処分した。この2つの要因が重なってストライキが起きた。
ストの指導者として漢那憲和、照星宏、伊波普猷、屋比久孟昌、真境名安異の5名は退学を命ぜられ、下級生は2ヵ月ないし6ヵ月の停学処分を受けた。
これで騒ぎはますます大きくなり、遂に翌年3月児玉校長は転任になり、生徒は首謀者を除いて復校した。

首謀者はその後漢那が海兵・海大を出て昭和天皇皇太子の時の御渡欧御召艦長を務め海軍少将で退役、照屋は東大工学部出の那覇市長、伊波も東大に進み沖縄学に先鞭をつけ、真境名は郷土史家となった。

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