養秀同窓会
明治の青春
明治の青春:沖縄中学大名行列、新時代到来のヤマト風俗。
沖縄中学大名行列、新時代到来のヤマト風俗。
体操が教科に設定されたのは首里中学創設早々の明治15年(1882年)であるが、実施になったのは3年後の明治18年(1885年)である。

さらに、普通体操のほかに兵式体操が加えられたのが、首里中学が名称を沖縄尋常中学と改めた後の明治20年(1887年)になってからで、熊本鎮台沖縄分遣隊の士官や下士官らが教えている。
当時の中学生たちは「髪を結い、帯を前に締めて剣をさし、そして銃を肩に担って」いたと記録ある。

これが定着して運動会を開催できるまでになるのは英語廃止反対ストライキの翌年(明治28年=1896年)からであるが、種目は角力、一人一脚、盲馬競、遠距離競走、武装競走、野試合、ベースボール等。
またそのころベースボール(野球)と共にテニスも流行し、明治の青年たちの血を湧かせた。
陸上運動会があれば、当然水上運動会もある。
その頃の種目は高飛(込)、遠距離遊泳、傘持遊泳、抜手漉泳、源平西瓜奪い、潜水等となっている。

もっと野性的なのは慶良間での鹿狩り。第1回目が明治28年(1895年)で、ストライキ組の伊波普猷らも博物の下国良之助教諭らに率いられ突貫、太鼓を叩いて鹿を追いまくり、11頭を生け取りにしている。
帰りは30名が、1つのクリ舟に3名ずつ1組になって15そうに分乗、悪天候の中を慶良間から那覇までの12浬を7時間かけ、一滴の水も飲まずに無事着いている。
後の日露戦争のバルチック艦隊を発見した久松五勇士の先輩たちがここにいたわけで、「海邦」の青年たちは文武に秀いでていたといえよう。

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