養秀同窓会
木造校舎時代
木造校舎時代:沖縄県中学校時代(1901~1911年)左の安国寺側に正門があった。
沖縄県中学校時代(1901~1911年)左の安国寺側に正門があった。
校舎が現在地(首里・真和志、旧中城御殿跡)に移ったのは、沖縄県尋常中学校と校名も改められ、修業年限も5年(昭和20年=1945年まで続く)となり、生徒数もふえたあとの明治24年(1891年)になってからである。
ちなみにその前年には「教育勅語」が発布されているが、24年にはキリスト者の内村鑑三が教育勅語拝礼を拒否、不敬事件として騒がれた。
また沖縄の初代県知事奈良原繁は翌明治25年(1892年)に着任している。
一日清戦争で日本が勝利を収めた影響か、中学入学希望者も急増、明治23年(1890年)に定めた生徒定員150名を同28年(1895年)には50名増やして200名とし、この年校舎も増築された。
定員はさらに翌年は300名に増員される。
生徒数がふえ、校舎が増築されると運動場は狭くなる。時には体操は小学校の運動場や首里城内で行なったりした。

校名も明治34年(1901年)5月に「沖縄県立中学校」と改称されるが、向学心に燃える青少年の需要に追いつかず、明治43年(1910年)には首里城内の旧建物を利用して分校を設立。
翌44年には本校が県立第一中学校、首里城内の分校が県立第二中学校となる。
二中は45年4月、首里城内から嘉手納に移転する。
県下に1つしかなかった沖縄中学には全県下から俊才が集まった。
教師も後講談社を創設した野間清治など逸材が来た。
受験指導もなかった当時、生徒たちはよく遊びよく学び、全国的に難関の上級学校へ多数進学した。

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