養秀同窓会
国学創設
国学創設:竜潭の西側から松崎をのぞむ。
竜潭の西側から松崎をのぞむ。
沖縄の「廃藩置県」は明治12年(1879年)である。翌明治13年(1880年)6月には師範学校が設立され、また同年12月には、置県により県に移管されていた尚温王創設(1789年=寛政10年)の「国学」を「首里中学校」と改めた。同校はその後沖縄県中学校となり、さらに分校を第二中学校として分離したため明治44年(1911年)沖縄県立第一中学校と改称、第二次大戦後、今日の沖縄県立首里高等学校へと生成発展している。
このように県立一中・首里高校の歴史はそのまま沖縄教育史であり、沖縄近代化の歴史と言える。
その源流である「国学」は儒教の朱子学を教育理念として尚温王(1795~1802)の創設になるもので、首里(現首里高校敷地西側の地域、後1800年に当蔵の現県立英夫敷地南側に移転)に開学した琉球の最高学府であった。
時に尚温15歳(在位4年)。18歳のときに扁額「海邦養秀」を書き、19歳で天折された。公式に「国学」と称されたのは翌1801年であるが、建学に当たり尚温は「国学訓飾士子論」を発し、次のように宣言した。
「今よリ以降、名門と貧窮を問わずもし行を積み学を勤め国の為に歓を宣ぶる者あらば、即ち布衣の子弟と雄も我まさに挙げて之を用いんとす。明訓にしたがわざる者は、貴族の子弟と雄も、我まさに退けて去らしめん」と。
琉球における門地位階制度が確立するとともに身分役職の固定化がみられた当時にあっては革新的宣言であった。

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