養秀同窓会
嵐の前
嵐の前:写真は卒業アルバムからとった。
写真は卒業アルバムからとった。
1944年3月、沖縄には本格的な守備軍として第32軍が配置されてからは、学科の一部として取り扱われていた“奉仕作業”が“勤労動員”と呼ばれるようになり、やがて決戦に備える“軍事動員”へ強化されていった。
生徒たちは、それぞれの所属する学校に近い部隊や、ときには遠出して軍からノルマの協力を要求された。
軍の作業の種類はいくつもあった。
洞窟陣地掘り、弾薬かっき、ドラム缶燃料輸送、食糧運搬、飛行場の拡張工事、陣地構築材の切り出しなど、どれも1O代の少年たちにとって骨身にこたえる重労働であった。

読谷飛行場建設の場合は数日間泊り込みの作業であり、生徒たちには初めての体験であった。
夜明けから日没までモッコで土を運び、トロッコを押し続け、文字どおり人海戦術での飛行場建設であった。

食事は玄米食に、確かに肉のかおりはするがカゲラも見当らない“太平洋のお汁”であった。

宿舎は国民学校の教室で床から天井までカイコ棚のような寝床でゴロ寝した。
秋の夜の美しい月に照らされて眠りにつく頃、引率教諭のひとり米須清與中尉の吹く静かな尺八の音が、生徒の疲れをいやした。
だが、一夜あけると、再び苛酷な使役と労働で、疲労と栄養不足のため、日射病で倒れる者も少なくなかった。

勤労動員は男子中学ばかりでなく、女学校にまで広がっていき、陣地構築に使う石割りや弾薬運びなど、過重な労働が次第に強化されていった。

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