養秀同窓会
過酷な青春
過酷な青春:
1945年3月25日、第32軍は沖縄連隊区司令部を通じ、沖縄男子師範をはじめ県下の各中学校に対し、学徒動員令を下した。
これによって、鉄血勤皇隊の編成という決定的な軍事行動への参加がきまった。

3月27日午後10時、沖縄一中最後の卒業式が首里金城町の養秀寮東庭のテニスコートで挙行された。
参集したのは藤野校長をはじめ職員生徒およそ400名。光が散るのを防いだうす暗いランプが用意され、来賓として、首里の壕に県庁を移していた島田知事や軍の高級副官らが出席した。

重苦しい雰囲気の中で、全員まず「海ゆかば」を斉唱したあと、藤野校長が挨拶を述べてひとまとめにした卒業証書を5年生の代表に渡した。
敵軍を目前にしての異様な儀式であった。
島田知事、藤野校長とも「これこそ日本一の卒業式でなくて何であろう」と絶句した。

この間にも、中頭や島尻方面で敵の艦砲は憂き、爆音は響き続けた6最後に高級副官が軍命令を伝え、3年生以上全員を召集すると言い渡した。

一中鉄血勤皇隊が編成されたとき、生徒たちは誰一人として生還を思わず決死の覚悟で遺書をしたため、身の代わりとして毛髪と爪を残した。
これは首里を放棄して南下する途次も仲原広和書記がまとめて大事に運んだ。
しかし、持ち歩きに危険を感じて保栄茂で岩陰深くかめに入れて埋められた。
これは戦後、生存者によって掘り出された。その遺書の一通一通は、一中健児隊の悲壮な決意を十分物語っている。

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