養秀同窓会
十五歳の少年兵
十五歳の少年兵:当時の1年生、昭和19年入学者は246名、生存が確認されているのは108名で、残る半数以上が戦死か、所在の確認がとれない者。<br>戦後最初の同期会があったのが、さくら食堂で、それが会の名称になり、さくら会。<br><br>一中入学、首里高卒業もいるが、戦後は各校の高校を卒業している場合も多い。
当時の1年生、昭和19年入学者は246名、生存が確認されているのは108名で、残る半数以上が戦死か、所在の確認がとれない者。
戦後最初の同期会があったのが、さくら食堂で、それが会の名称になり、さくら会。

一中入学、首里高卒業もいるが、戦後は各校の高校を卒業している場合も多い。
「鉄血勤皇隊第一中学校隊」は配属将校の篠原中尉を隊長とし、第一小隊135名、第二小隊135名、第三小隊130名の計400名が第五砲兵司令部に配属された。学年別では5年生80余名、4年生150余名、3年生160余名で、16歳から18歳の少年たちの悲しくも勇壮な出で立ちであった。

陸軍二等兵を命じられ、軍服一式ならびに毛布2枚が支給された。星一つの階級車、ほやほやの陸軍二等兵の誕生であった。
第五砲兵司令部(球第9700部隊)から渡辺見習士官、森伍長、船垣兵長、馬場上等兵、柏木上等兵、一等兵3名の計8名が訓練と内務教育のため勤皇隊と起居を共にして教導にあたった。

晩、上官に欠礼したとの理由で新品二等兵たちは突然、顔を殴られた。今まで“兵隊小(ヒータイグワー)とあなどっていた古参一等兵が学徒兵の上官であり、天皇陛下の分身であるとは、その上官に注意されるまで気がつかなかった。

新品の軍服を着たうれしさで一時、将校にでもなったような気分で、オノレが一つ星の最下級兵であることを忘れていた。
間の悪いことに、学生気質がまだ抜けきらない学徒兵は、腰に手拭をぶらさげてまた殴られた。

一方、鉄血勤皇隊とは別に、3月28日には2年生的150名が少年通信兵を命じられ電信第36連隊(連隊長・大竹元治少佐)に入隊、第四、第五、第六中隊、固定中隊の各隊に編入されていた。

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